2世紀の末、後漢末期の中国では国内が大いに乱れ、
群雄割拠する戦国時代へと突入します。



数多くの英雄・英傑の中にあって、戦乱の世を生き残ったのは、
宦官の孫として生まれ、乱世の奸雄と評された、
曹操孟徳。
長江の南にて、父と兄から受け継いだ兵をまとめ上げた、
孫権仲謀。
一介のむしろ売りから、漢帝国再興の大義に立ち上がった、
劉備玄徳。
この3人でした。
そして彼らはそれぞれ、魏・呉・蜀といった国家を中国国内に
作り出し、 覇権を争う三つ巴の戦いを繰り広げました。
世に言う、「三国時代」です。
こうした歴史の事実とはまるで関係しない形で、
西暦2008年の3月、この日本で、
ひとつのゲームがインターネット上に産声を上げます。
三國志onlineです。
開発を担当したのは、三国志を題材にした作品には定評のある、
株式会社コーエーでした。
ライトユーザーでも楽にLvが上がるという触れ込みと、
最大1000人のプレイヤーが激突する「合戦」などの要素を
盛り込んだゲーム内容は、
一部の三国志愛好家や歴史ゲーム好きなどから、
製品版アカウント取得に向けての初期費用を搾取することに
成功します。
私たち課金プレイヤーの家計は、ひそかに傾いたのでした。


4月からの三国制覇戦を控えたこの時期、
各プレイヤーは自らの仕官すべき勢力を捜して奔走します。
蜀には、横山光輝や吉川栄治など、
三国志演義をモチーフにした作品を好む、
多くのプレイヤーが仕官しました。
劉備や諸葛亮、関羽や趙雲といった、
三国志を代表する人物の人気が、ここでも人心を掌握します。
一方で呉は、三国で唯一の女性武将である孫尚香を
擁するとともに、
他の武将も、ビジュアル的な若さを全面に押し出した魅力を
放ちます。
さらに、漫画「一騎当千」の色気や、「赤が好き」といった、
ゲームとは何ら関係の無い要素も手伝って、
蜀に次ぐ勢力へと、その規模を拡大させました。
こうした情勢の中で、人数的な苦戦を強いられていたのは、
魏国でした。
三国志演技などの作品では悪役として描かれ、
さらに、武将のビジュアルにおいても、
悪人面のオッサンが7人に、うち2人は、メタボでした。


つまりこの時期、魏に仕官したプレイヤーの多くは、
自称・硬派の歴史オタクや、極度のオヤジ好き、
そして、「蒼天航路」の連載終了に泣いたモーニング愛読者と、
何より、「魏が好き」というよりも「蜀と呉が嫌い」といった、
反体制思想を持つ危険分子ばかりだったと考えられます。

そんな彼らが、数的不利な状況の中から、
生き残りをかけた強烈な団結力を発揮していくのは、
まさに、歴史の必然でした。


正式サービス開始の前後、魏には多数の槍使い、
「戦術職」があふれます。
金属の鎧に長い得物を携えた風貌は、
まさに、三国志ファンが心に抱く兵士の姿そのものでした。
こうした国全体での職種の偏りが、ある戦術を生み出します。


後に言う、「脳筋突撃」です。


疾駆や徒党疾駆といった速度上昇系の技能、
さらに自動技能の俊足や、陣形技能の祝福などを重ね、
全軍が一丸となって敵陣に斬り込むというその戦術に、
歪みはありませんでした。

当時の合戦は1陣から3陣までが同時に開催されており、
絶対的な人数に劣る魏は、
まずひとつの陣に戦力を集中して城門破壊による1勝をあげ、
その後に、戦闘中の2つの陣のうちの片方を決戦陣として、
決着した陣からの援軍を迎えるという作戦を
採用していました。


こうすることで、国全体での人数では劣りつつも、
その陣だけで見れば、
戦力差を最小限にとどめる事が可能だったのです。
速攻陣と決戦陣、そして捨て陣。
捨て陣が落とされる前に、いかに早く、
速攻陣を落として決戦陣に援軍を送り込むのか。
そうした魏に課せられた命題が、「脳筋突撃」を生み出したのです。
第二次プレオープンの終盤から、正式サービス開始後の3月、
魏の兵士たちは、文字通り、戦場を縦横に駆け巡ります。
速攻陣では、多くの脳筋が互いに徒党疾駆を掛け合い、
敵の城門を叩きました。
戦術職を中心とした部隊の露払いを受けて、
練丹の呪詛散布などで弱体効果のかかった敵城門を
破るというスタイルが、この時期に定着します。
「魏に脳筋あり。」
その突撃力と、なぜか付きまとうガチムチ系のオーラに、
各国は戦慄します。
そして2008年4月。
三國志onlineは三国制覇戦第一節へと突入するのでした。




本日はスタジオゲストに、
三頭猟戌部曲長の馬撥条さんをお迎えしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

よろしくお願いします。


さて正式サービスが開始した訳なんですが、
大変な不人気だったようですね魏国は。

そうですね。
水鏡で部員募集の頭上コメントを出していても、
対話が来たことは一度も無かったですね。


どういった方が魏に仕官したんでしょうか。

一言で言ってしまえば、
「悪役好き」という事になるかと思います。
ウルトラマンより怪獣が好きであったり、
悟空よりピッコロが好きであったり、
主役や人気というものに対して、
それを支持するよりも、どうにかしてヘコませてやろうと、
そう感じる人間が、おのずと集まったんだと思います。


少数が多数を倒すことへの憧れとでも言いましょうか、
不人気であるからこその勝利への執着みたいなものが、
あったように見えますね。

そうですね、その通りだと思います。

さて、そしてその状況から脳筋突撃が誕生した訳なんですが、
そもそもこの「脳筋」という言葉は、
いったいどういった意味なんでしょうか。

はい。脳筋というのは、
脳ミソが筋肉でできている、つまり、
考えるよりも先に、体を動かして解決しようとする様を
揶揄した言葉なんですね。
魏は3つある陣のうち1つを何としてでも短時間で
陥落させないといけない訳ですから、
じっくりと相手の出方を見るといった事が
できなかったんですね。
とにかく前に前にという魏国全体の動きに、
この脳筋という言葉は非常に的を射た表現だったと思います。


実際に参加されてみて、
脳筋突撃の効果は高かったんでしょうか。

そうですね。当時は城門が今に比べて柔らかかったですから、
人数や軍団値で若干の前後はありますが、
だいたい10分から15分で城門破壊というケースも
めずらしくありませんでしたね。
当時としては非常に効果的な戦術だったと思います。


ありがとうございました。

さてこうして魏国は、この脳筋突撃をひっさげて、
三国制覇戦の第一節に乗り込んで行く訳なんですが、
そこには、決して一筋縄ではいかない、
大規模な対人戦ならではのドラマが、
待ち受けている事になるんですね。

それでは続きをご覧下さい。



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