呉軍による制覇戦初敗北を味わった魏軍はその後、
5月21日の蜀との合戦でも敗北を喫し、
ここにきて、制覇戦2連敗という苦難に見舞われます。
「脳筋、潰えたり。」
各国の兵士の中には、そうささやく者も少なくありませんでした。
各プレイヤーのスキルが上がってきたこの時期、
蜀の大兵力や、呉の連合力に対して、
魏の脳筋突撃はもはや、一時期の圧倒的な有効性は
望めない状況にありました。
来たるべき新たなる合戦のカタチに向けて、
今まさに、魏は、脳筋と決別するべきではないのか。
誰もがそう思いながら、
しかし誰もが、次世代の魏の姿を描けずにいました。

こうした悩みを抱えたまま、
魏は、先の敗戦以来の、呉との戦に臨みます。
5月28日、江夏郡西塞山。
その1陣、マップは「草原」。
2陣を捨て陣、3陣を決戦陣に設定したことで、
速攻陣となった1陣には
開始前上限人数に達する、300人の兵が集結していました。
「素早く城門を破り、1勝を先制する。」
従来からの、不動の基本戦略を実行するに当たって、
それを可能にする魏の戦術は、
いまだ、脳筋突撃の一択でした。
しかし、その唯一の戦術は、もはや絶対とは言えません。
「もしかしたら、また、駄目なんじゃないか。」
城内の魏軍兵士300名は、
口にすることができない不安感を抱いたまま、
開戦の時を待ちました。


午後10時 開戦。


開始直後、西側の城に陣取る魏軍300名は、
全軍にて、マップの北側から突撃をかけます。
しかしこの時、呉軍は、その反対側、
フィールドの南側に軍を進めていました。

やがて魏軍は、わずかな敵採取部隊との遭遇戦を制し、
労することなく、敵の城門に辿り着きます。

300名の魏軍が、一斉に、城門攻撃を始めました。
城門の耐久ゲージは、見る間に、その長さを縮めていきます。
「いけるかも知れない。」
誰もが、そう思いました。

しかし次の瞬間、
城門攻撃中の魏軍の側面から、
おびただしい数の呉軍が襲いかかります。
南側ルートから反転した、呉軍の主力部隊です。

わずか、3分。
魏軍の放った脳筋突撃は、残り耐久値わずかな敵城門を前に、
全滅します。

呉軍は、傷ついた城門を背に、態勢を整えます。
一点固守に構えなおした呉軍の布陣の中に、
ふたたび、魏軍が飛び込みました。
脳筋突撃の、第2波です。
すでに耐久値の半分をきっている敵城門は、
魏軍にとって、これ以上の無い勝機でした。
しかし、その第2波も、
呉軍の圧倒的な防衛力の前に、たちまち壊滅します。
「速攻ができない。」

その直後、両軍の人数が大きく膨れ上がります。
他陣からの援軍です。
2陣を呉、3陣を魏が城門破壊で獲り、
1勝1敗となった後の1陣は当初の予定を大きく外れ、
500人vs500人の、決戦陣となりました。

駆けつけた援軍150名を加えた魏軍は、
3度目の突撃に討って出ます。
しかしこの突撃も、呉軍の鉄壁の守りに阻まれ、
誰一人として、城門へ到達することはありませんでした。
三國志online魏志泰山伝には、
この時の様子を、次のように記してあります。
みたびの脳筋、ついに退けられし候。
孫呉の兵、もってのほか精強なり。
3度の突撃を撃破され、
この時すでに魏軍は、呉軍に対し、
15000ポイントもの大差を奪われていました。

もはや、脳筋では勝ち目はないのか。

復活までの待機時間、
大きく水を開けられた点数のゲージを見ながら、
誰もがそう考えました。
やがて魏軍の兵士は次々と城内で復活します。
「残り時間は、半分を切っている。」
「点差が大きすぎる。」
「何をしたら勝てるのか。」
「何ができるのか。」

その時です。

ひとつの言葉が、聞こえました。

「最近だらしねえな」


総勢500名の魏軍が、猛然と城から飛び出します。
目指すは、敵城門。

追い詰められた展開の中で、魏軍が最後の望みを託したのは、
4度目の脳筋突撃でした。
「俺達には、これしかない。」
「足を止めるな。走れ。」
この魏軍の勢いに、それまで守りに徹していた呉軍が動きます。

突撃開始から6分、城門前が手薄になった一瞬のスキを突いて、
回り込んだ魏軍がフィールド北方から滑り込みます。
城門耐久値は、残すところ、あとわずか。
必死の防衛を試みる呉軍の布陣を貫き、
魏軍が再び城門に達しました。
「叩け、叩け。」
次々と倒れて行く仲間の屍を乗り越えて、
ひたすらに魏軍は、城門を叩き続けました。

魏志泰山伝には、先ほどの記述のあとに、
このような言葉が続きます。
されど我ら、脳筋として生くること、
これ、武人の本懐と感ず。
戦闘開始から39分。
魏軍はついに、城門突破を成功させました。
「勝った。勝ったぞ。」
「おつかれさまでした。」
「やったぜ。」

それは、国家の繁栄を築き、すべての魏民にとって
心の拠り所であった脳筋突撃が、
その最期に、まばゆい光を放った瞬間でした。



いや見事な、大逆転劇でした。

そうですね。

連敗を経たあとの合戦で、さらに3回にも渡って、
攻撃を退けられると。
普通なら別の手段を探してもおかしくない訳なんですが、
しかし最後の最後まで脳筋突撃の一択だった。
このこだわりというか、愚直なまでの魏の戦闘スタイルには、
ただの戦術として以上の、脳筋突撃に対する思い入れが
感じられますね。

そうですね。特にこの頃の魏は、
首位を行く国家の宿命とでも言いましょうか、
勝つことによって自分達のモチベーションを
維持していた部分が強かったんですね。
それが、ちょっとした不信感から連敗をした事によって、
「ひょっとしたらダメなんじゃないかな」という思いが、
「やっぱりダメだった」となってしまった、
そうした負のスパイラルに陥った中で、
どうにかしようと考えて、立ち返ったのが
「じゃあ、自分達には何ができるのか」
という原点だったんだと思います。
その答え、その選択肢の無さが、
脳筋突撃にもっとも必要な「ノリ」や「勢い」といった
要素となって、この大逆転を実現したんだと思いますね。


なるほど。
馬撥条さんは、今日のその時が、
どのように歴史を動かしたとお考えでしょうか。

はい。
三國志onlineは、この「合戦」という
大規模な対人戦がゲームの目玉となっています。
その中での兵の強さ、国の強さ、
限られた人数による力を、2倍にも3倍にも
膨れ上がらせる全体戦術、あるいは方針。
その必要性をもっとも早い段階で示して実行したのが
脳筋突撃だったと思います。
そしてその戦術が一旦は破られた事によって、
どんな戦術も決して絶対ではない、
常に進化し続けないといけないんだという事、
その為に必要なのは、何より「団結力」であると、
それが顕著に現れた一戦だったと思いますね。


どうもありがとうございました。

ありがとうございました。
さて今日の番組の終わりは、この脳筋突撃が
その後どうなっていったのか。
そして、泰山魏という国にどのようなものを残して
現在に至るのか。
そのあたりをご紹介しながらのお別れにしたいと思います。


今夜もご覧いただき、ありがとうございました。


【EDテーマ】 sonotoki-ed.mp3 【ここから再生】

劇的な逆転勝利を魏が飾ったその翌日、5月29日。
この日のアップデートで、
城門耐久に対する修正が加えられました。

全軍での速攻と、それに伴う城門破壊は事実上否定され、
三國志onlineはその後、突撃連合の時代へと移行して行きます。

三国制覇戦第一節、4月・5月。
11勝2敗という戦績を残し、
戦場に猛威を振るった魏の脳筋突撃は、
いつしかその存在を風化させていきました。
しかしその後の魏を、根底から支え続けたのは、
この時期に積み上げられた数字と、
そして、いかなる劣勢においても
常に攻めの姿勢を持ち続けようとする
骨太な国家精神であったことは言うまでもありません。

「脳筋死せども、曹魏の魂は死なず。」

5ヶ月間に及ぶ制覇戦の中で、
魏が最後まで首位を守り続けることが出来たのは、
こうした、部曲や連合を越えて共有された精神が
あったからだと、人々は振り返ります。
それは、
脳筋突撃が魏民に残した、
最高の戦果だったのではないでしょうか。
もうね、みんながね、ドーンと飛び出すんですよ。
門割れー門割れー言うてね。
そらぁ爽快でしたわ。

ほんまに、みんなでね。
正式サービスの開始から2年が経過した現在、
かつて幾多の兵たちが意見を戦わせた許昌の宮廷前には、
光り輝く巨大な玉璽がたたずんでいます。
それは、人や戦術が変わっても、
確かに変わらない泰山魏国の本質が、
勝利を掴んだ証なのだと語りかけているようです。
「攻めて勝とう。」
その信念を胸に、泰山魏は2010年の4月、
三国制覇戦の第四節を迎えます。
三頭猟戌部曲砦「楓林閣」。
この一角に、脳筋突撃の功績を讃えた記念碑が残っています。
そこには、当時、脳筋突撃の前に必ず唱和され、
全軍の士気を奮い立たせた掛け声が、
その思いを今に伝える語り部として、
力強く、刻まれています。
「オッス オッス」









前頁





inserted by FC2 system